
ブルーインパルスの事故ってあったのかな?
全国の航空祭などで人々を魅了するブルーインパルス。
著者も2024年の9月、小松基地航空祭でブルーインパルスを初めて見て感動しました。
▶【小松基地航空祭2024】子連れ参加レポ!ブルーインパルスに感動
けれどもふと気になったのが、事故のこと。
海外の航空ショーでも時々事故が起きたりしてるけど、ブルーインパルスも事故があったのかな?と疑問に思ったので、調べてみました。
- 過去に起きたブルーインパルスの死亡事故一覧
- 『ブルーインパルス パーフェクト・ガイドブック』(イカロス出版、2020年)
- 赤塚聡『ブルーインパルスの科学』(SBクリエイティブ出版、2014年)
【ブルーインパルスの事故一覧】墜落・パイロットの死亡について

■ブルーインパルスの事故一覧
事故日 | 場所 | 殉職者 |
1961年 7月21日 | 伊良湖畔沖 | 加藤松夫3佐 |
1965年 11月24日 | 基地内 | 城丸忠義2尉 |
1982年 11月14日 | 浜松基地 | 高嶋潔1尉 |
1991年 7月4日 | 宮城県 金華山沖 | 式地豊1尉 濱口誠司1尉 |
2000年 7月4日 | 宮城県 牡鹿半島 | 阿部幹雄3佐 一嶋三樹3佐 梅川智弘1尉 |
1954年に航空自衛隊が発足。
その6年後の1960年4月、F-86F戦闘機を装備するアクロチーム「空中機動研究班」が誕生します。
1960年8月に部隊名が「特別飛行研究班」と変わり、ブルーインパルスのコールサインを持つチームが生まれました。

1961年3月4日~1981年3月31日:
ブルーインパルスの機体はF-86
ブルーインパルスの歴史・機体についての記事はこちらから:
・【ブルーインパルスは何のために存在するの?】誕生から現在までを解説
・ブルーインパルスは戦闘機じゃない?現在と歴代の機体について
ブルーインパルスが着実に展示飛行の実績を積み重ね、展示回数が20回を超えた頃に悲劇が。
1961年 ブルーインパルス初めての事故
- 事故日:1961年7月21日
- 場所:伊良湖畔沖
- 殉職者:加藤松夫3佐
リーダーの異動に伴い、次期編隊長要員として訓練をしていた加藤松夫3佐。
1961年(昭和36年)7月21日、単機リーダー訓練中に伊良湖畔沖に墜落して、加藤3佐は殉職してしまいます。
ブルーインパルスのパイロットの記事はこちらから:
・【ブルーインパルス】歴代のパイロット一覧
・【ブルーインパルス】女性はいるの?2024年のパイロット紹介
・【ブルーインパルスのパイロットになるには】その後についても解説
・ブルーインパルスのパイロットの年収・給料はどのくらい?なりたい人必見!
事故後1か月に及ぶ調査を行い、様々な安全対策が取られました。
1964年には、東京オリンピック開会式でブルーインパルスがフライト。

ブルーインパルスと言えば、東京オリンピックのイメージだよね
東京オリンピックの翌年の1965年、部隊名を「戦技研究班」に変更した4日後に2番目の悲劇が起こります。
1965年 基地内に墜落
- 事故日:1965年11月24日
- 場所:基地内
- 殉職者:城丸忠義2尉
1965年(昭和40年)11月24日、ソロ機がテイクオフ・ロール時に基地内に墜落。
城丸忠義2尉が殉職します。
1981年3月、「戦技研究班」(F-86Fブルーインパルス)は解散。
1982年1月12日、宮城県松島基地の第4航空団 第21飛行隊に「戦技研究班」が新編され、T-2ブルーインパルスが誕生しました。

1982年1月12日~1995年12月22日:ブルーインパルスの機体はT-2
1982年 浜松基地航空祭での墜落
- 事故日:1982年11月14日
- 場所:浜松基地
- 殉職者:高嶋潔1尉

T-2ブルーになった同年の1982年(昭和57年)11月、ブルーインパルスの歴史の中でも最悪の事故が起きてしまいました。
浜松基地航空祭の最中、「下向き空中開花」でブレークした4番機が基地外の駐車場に墜落します。
下向き空中開花などブルーインパルスの技についての記事はこちらから:
【ブルーインパルス 技一覧】第1区分~第4区分の演目 難易度は?
事故原因は、編隊長のブレイク・コールが一瞬遅れたことでした。
この事故で高嶋潔1尉が殉職。
周辺住民12人も負傷しました。

航空祭でも事故が起きてしまったんだね..
一時はブルーインパルスチームの存続も危ぶまれる状況に。
事故後に徹底した調査が行われるなか、関係者・支援者の懸命な努力により、1983年2月に飛行訓練が再開されます。
1991年 金華山沖での訓練中に墜落
- 事故日:1991年7月4日
- 場所:宮城県石巻市の金華山沖
- 殉職者:式地豊1尉・濱口誠司1尉
1991年(平成3年)7月4日、再び悲劇が。
金華山沖での訓練中に2番機と4番機の2機が洋上に墜落。
式地豊1尉と濱口誠司1尉の2名が殉職します。
1995年12月22日、第21飛行隊戦技研究班(Tブルーインパルス)解散、第11飛行隊(T-4ブルーインパルス)が発足します。
1995年12月22日~:
ブルーインパルスの機体はT-4

1998年2月の長野オリンピック開会式でブルーインパルスが展示飛行。
2000年 牡鹿半島墜落事故
- 事故日:2000年7月4日
- 場所:宮城県牡鹿半島の光山山頂付近
- 殉職者:阿部幹雄3佐・一嶋三樹3佐・梅川智弘1尉
2000年はブルーインパルス創設40周年のアニバーサリーイヤー。
その2000年(平成12年)、前回の事故と同じ7月4日にまたしても事故がおきます。
金華山沖で訓練を終えて帰投する途中、5・6番機の2機が牡鹿半島の光山山頂付近に墜落してしまったのです。
この事故で阿部幹雄3佐・一嶋三樹3佐・梅川智弘1尉の3名が殉職。
飛行展示はもちろん、訓練も当面中止され、安全対策の抜本的な見直しがなされました。

2001年に飛行訓練が再開されるよ
その年の松島基地航空祭は4機によるフライトだったんだって
その後、2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震で、ブルーインパルスのホームベースである松島基地は壊滅的な打撃を受けました。

▶【ブルーインパルスはどこにいるの?】基地見学と基地上空訓練について
地震で発生した津波でブルーインパルス1機が被災しています。
ホームベースを失い、しばらくT-4ブルーは移動訓練を続けます。
2013年にT-4ブルーは松島基地に帰還。

東日本大震災後のブルーインパルス帰還については、ドラマ「空飛ぶ広報室」を見るとよく分かるよ☆
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2021年7月23日、57年ぶりの東京オリンピックの開会式に合わせ、ブルーインパルスは華麗な飛行を見せました
【ブルーインパルスの事故一覧】墜落、パイロットの死亡について まとめ
この記事では、過去に起きたブルーインパルスの死亡事故についてお伝えしました。
■ブルーインパルスの事故一覧
事故日 | 場所 | 殉職者 |
1961年 7月21日 | 伊良湖畔沖 | 加藤松夫3佐 |
1965年 11月24日 | 基地内 | 城丸忠義2尉 |
1982年 11月14日 | 浜松基地 | 高嶋潔1尉 |
1991年 7月4日 | 宮城県 金華山沖 | 式地豊1尉 濱口誠司1尉 |
2000年 7月4日 | 宮城県 牡鹿半島 | 阿部幹雄3佐 一嶋三樹3佐 梅川智弘1尉 |
亡くなられた方の安らかな眠りをお祈りいたします。
数々の事故を乗り越え、現在のブルーインパルスの素晴らしい演技があるのですね。

安全で楽しいブルーインパルスのイベントを、これからも楽しみにしています
2025年の航空祭・ブルーインパルスイベントスケジュール
▶【航空祭2025】スケジュール一覧 ブルーインパルスはいつ登場?