ブルーインパルスの事故ってあったのかな?
全国の航空祭などで人々を魅了するブルーインパルス
著者も2024年の9月、小松基地航空祭でブルーインパルスを初めて見て感動しました
▶【小松基地航空祭2024】子連れ参加レポ!ブルーインパルスに感動
けれどもふと気になったのが、事故のこと
海外の航空ショーでも時々事故が起きたりしてるけど、ブルーインパルスも事故があったのかな?
と疑問に思ったので、調べてみました
【ブルーインパルスの事故一覧】墜落・パイロットの死亡について
1954年に航空自衛隊が発足
その6年後の1960年4月、F-86F戦闘機を装備するアクロチーム「空中機動研究班」が誕生します
1960年8月に部隊名が「特別飛行研究班」と変わり、ブルーインパルスのコールサインを持つチームが生まれました
1961年3月4日~1981年3月31日:
ブルーインパルスの機体はF-86
ブルーインパルスの歴史・機体についての記事はこちらから:
・【ブルーインパルスは何のために存在するの?】誕生から現在までを解説
・ブルーインパルスは戦闘機じゃない?現在と歴代の機体について
ブルーインパルスが着実に展示飛行の実績を積み重ね、展示回数が20回を超えた頃に悲劇が
1961年 ブルーインパルス初めての事故
リーダーの異動に伴い、次期編隊長要員として訓練をしていた加藤松夫3佐
1961年(昭和36年)7月21日、単機リーダー訓練中に伊良湖畔沖に墜落して、加藤3佐は殉職してしまいます
ブルーインパルスのパイロットの記事はこちらから:
・【ブルーインパルス】歴代のパイロット一覧
・【ブルーインパルス】女性はいるの?2024年のパイロット紹介
・【ブルーインパルスのパイロットになるには】その後についても解説
・ブルーインパルスのパイロットの年収・給料はどのくらい?なりたい人必見!
事故後1か月に及ぶ調査を行い、様々な安全対策が取られました
1964年には、東京オリンピック開会式でブルーインパルスがフライト
ブルーインパルスと言えば、東京オリンピックのイメージだよね
東京オリンピックの翌年の1965年、部隊名を「戦技研究班」に変更した4日後に2番目の悲劇が起こります
1965年 基地内に墜落
1965年(昭和40年)11月24日、ソロ機がテイクオフ・ロール時に基地内に墜落
城丸忠義2尉が殉職します
1981年3月、「戦技研究班」(F-86Fブルーインパルス)は解散
1982年1月12日、宮城県松島基地の第4航空団 第21飛行隊に「戦技研究班」が新編され、T-2ブルーインパルスが誕生しました
1982年1月12日~1995年12月22日:ブルーインパルスの機体はT-2
1982年 浜松基地航空祭での墜落
T-2ブルーになった同年の1982年(昭和57年)11月、ブルーインパルスの歴史の中でも最悪の事故が起きてしまいました
浜松基地航空祭の最中、「下向き空中開花」でブレークした4番機が基地外の駐車場に墜落します
下向き空中開花などブルーインパルスの技についての記事はこちらから:
【ブルーインパルス 技一覧】第1区分~第4区分の演目 難易度は?
事故原因は、編隊長のブレイク・コールが一瞬遅れたことでした
この事故で高嶋潔1尉が殉職
周辺住民12人も負傷しました
航空祭でも事故が起きてしまったんだね..
一時はブルーインパルスチームの存続も危ぶまれる状況に
事故後に徹底した調査が行われるなか、関係者・支援者の懸命な努力により、1983年2月に飛行訓練が再開されます
1991年 金華山沖での訓練中に墜落
1991年(平成3年)7月4日、再び悲劇が
金華山沖での訓練中に2番機と4番機の2機が洋上に墜落
式地豊1尉と濱口誠司1尉の2名が殉職します
原因を調べたところ、低高度でシーフォグ(海霧)に入ったリーダーが空間識失調(バーティゴ)に
低空で意図せずに編隊をバンク(機体を傾ける)させた結果とみられています
空間識失調とは、パイロットが感じる体の動きと実際の飛行機の動きが一致せず、混乱状態に陥(おちい)る現象
引用元:公益財団法人 つくば科学万博記念財団ホームページ
1995年12月22日、第21飛行隊戦技研究班(Tブルーインパルス)解散、第11飛行隊(T-4ブルーインパルス)が発足します
1995年12月22日~:
ブルーインパルスの機体はT-4
1998年2月の長野オリンピック開会式でブルーインパルスが展示飛行
2000年 牡鹿半島墜落事故
2000年はブルーインパルス創設40周年のアニバーサリーイヤー
その2000年(平成12年)、前回の事故と同じ7月4日にまたしても事故がおきます
金華山沖で訓練を終えて帰投する途中、5・6番機の2機が牡鹿半島の光山山頂付近に墜落してしまったのです
この事故で阿部幹雄3佐・一嶋三樹3佐・梅川智弘1尉の3名が殉職
飛行展示はもちろん、訓練も当面中止され、安全対策の抜本的な見直しがなされました
2001年に飛行訓練が再開されるよ
その年の松島基地航空祭は4機によるフライトだったんだって
その後、2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震で、ブルーインパルスのホームベースである松島基地は壊滅的な打撃を受けました
▶【ブルーインパルスはどこにいるの?】基地見学と基地上空訓練について
地震で発生した津波でブルーインパルス1機が被災しています
ホームベースを失い、しばらくT-4ブルーは移動訓練を続けます
2013年にT-4ブルーは松島基地に帰還
東日本大震災後のブルーインパルス帰還については、ドラマ「空飛ぶ広報室」を見るとよく分かるよ☆
▶【無料視聴】空飛ぶ広報室の見どころを徹底解説!航空祭・ブルーインパルスファン必見
2021年7月23日、57年ぶりの東京オリンピックの開会式に合わせ、ブルーインパルスは華麗な飛行を見せました
【ブルーインパルスの事故一覧】墜落、パイロットの死亡について まとめ
この記事では、過去に起きたブルーインパルスの事故についてまとめました
亡くなられた方の安らかな眠りをお祈りいたします
ブルーインパルスの演技には高度な技術を必要とするので、事故はつきものかもしれません
けれどもやはり事故がなくなることを願わずにはいられません
安全で楽しいブルーインパルスのイベントを、これからも楽しみにしています
- Q元ブルーインパルスパイロットの事故はありますか?
- A
2016年、2022年の事故があります。
2016年U-125御岳墜落事故
T-4ブルーインパルスの第11飛行隊第9代飛行班長であった平岡勝3等空佐(当時)は、その後、飛行点検隊に所属していました。
平成28年(2016年)4月6日(水)、鹿屋航空基地から航空保安設備の飛行点検のため出発しましたが、鹿屋市御岳付近にて墜落する事故が発生。
この事故により、平岡氏を含む6名の乗員全員が命を落としました。
2022年の飛行教導群F-15墜落事故
2022年1月31日、航空自衛隊小松基地(石川県小松市)所属のF-15戦闘機が日本海上に墜落。
この事故では、飛行教導群司令である田中公司1等空佐(当時52歳)と、飛行教導群隊員の植田竜生1等空尉(当時33歳)の2名が命を落とします。
田中1等空佐はかつてブルーインパルスの隊長を務めており、全国の戦闘機パイロットの訓練指導を行う飛行教導群の指揮官を担っていました。
田中一佐はドラマ「空飛ぶ広報室」にも出演していました。
最後に参考文献をご紹介します
※参考文献:『ブルーインパルス パーフェクト・ガイドブック』(イカロス出版、2020年)
↑『ブルーインパルス パーフェクト・ガイドブック』は美しいブルーインパルスの写真が存分に楽しめます
ブルーインパルスに興味を持ったら、最初に読みたい1冊
ブルーインパルスの歴史とともに、事故についても学ぶことができますよ
※参考文献:赤塚聡『ブルーインパルスの科学』(SBクリエイティブ出版、2014年)
↑ブルーインパルスについて分からないことがあったら、『ブルーインパルスの科学』を読むと一通り分かります
専門的なことも分かりやすく書かれていて、初心者でも読みやすいですよ