
ブルーインパルスって戦闘機じゃないの?
歴代の機体について知りたいな
全国の航空祭やイベントで大人気のブルーインパルス。
青と白、日の丸が美しいブルーインパルスの機体が印象的で、心に残りますよね。
ブルーインパルスは戦闘機じゃないのか?気になったので、現在と歴代ブルーインパルスの機体について調べてみました。

この記事では、ブルーインパルスの機体についてお伝えします☆
ブルーインパルスの
- 現在の機体(スモーク・速度・デザインについて)
- ブルーインパルスの歴代の機体
ブルーインパルスの現在の機体は戦闘機じゃなく、T-4中等練習機を改修

ブルーインパルスで現在使用されているのはT-4 アクロ使用機(正式名称「戦後研究使用機」)。
航空自衛隊のパイロット訓練機や連絡機として使用されているT-4中等練習機をブルー仕様に改修しています。

今のブルーインパルスの機体は戦闘機じゃないんだね!
- 機体外部塗装の変更
- 発煙(スモーク)装置の装備
- ラダー作動角の拡大
- 風防の強化
- 主翼前縁強化
- 低高度警報システムの追加
- コクピット内装備の追加
ブルーインパルスの機体について江尻隊長が分かりやすく解説してくれています↓
改修はされていますが、基本構造や性能はT-4中等練習機と大きく変わりません。
なおT-4は川崎重工業が製造を担当。
機体はもちろん、エンジンや搭載機器など全てが国内で開発・生産された純国産の双発ジェット機です。
スモークについて
ブルーインパルスの演技で印象的なスモーク。
パイロットの操作でスモークを発生させるため、ブルーインパルスの機体には発煙装置が付いています。
①パイロットが操縦桿のトリガースイッチを右手の人差し指で一段引く
②発煙油のシャットオフバブルが開く
③ポンプで加圧された発煙油(スピンドル・オイル)がノズルから噴射される
★噴射された発煙油は熱によって一瞬で気化します
しかしすぐに大気中で冷やされて凝結、細かな油のしずくが白いスモークになって出てきます
ノズルは右側エンジンの排気口すぐ後方にあります。
ノズルには小さな穴が空いた金具(オリフィス)が取り付けられていて、事前に穴のサイズを変更することでスモークの太さも変えられますよ。
タンクの容量は約320L(85ガロン)で、約10分間の発煙が可能。

スモークは演技課目によって出すタイミングが決められているよ
①編隊長が無線で「ワン、スモーク」をコール
→僚機がそれに合わせてトリガーを引いてスモークを噴射
②次の「スモーク」のコール
→トリガーを緩めて、スモークを停止
ブルーインパルスのパイロットの記事はこちら
▶【ブルーインパルス2025】全パイロットメンバー紹介!TACネームも
最大速度は約1,040km/h

航空自衛隊公式ホームページを見ると、ブルーインパルスの最大速度はマッハ約0.9(約1,040km/h)。

マッハは音速(約1,200km/h)と同じだよ☆
ちなみに・・
- 新幹線(のぞみ)の最大速度は約270km/h
- 飛行機の速さは約900km/h
デザインは一般公募で決定

ブルーインパルスのT-4は一般公募で決定されたオリジナルデザインが採用されています。
1992年に一般公募の告知があり、応募総数2,135点の中から選ばれたのは、愛好家の中で有名な斎藤章二さんの作品です。

青と白と日の丸が、とってもキレイだよね☆
ブルーインパルスの歴代の機体について

ブルーインパルスの現在の機体は3代目です
F-86ブルーインパルス:1961~1981年

ブルーインパルスの初代の機体F-86Fは、アメリカから供与された当時の主力戦闘機でした。

F-86Fは日本でハチロクの愛称で呼ばれていたよ
当時、ハチロクのパイロットになるため米国留学が行われており、そこで空自パイロットたちは米空軍のアクロチーム「サンダーズ」の飛行を目の当たりに。
大きな感銘を受けて日本にもアクロバットチームを作るという夢が動き出しました。
▶【ブルーインパルスは何のために存在するの?】誕生から現在までを解説
1960年4月、静岡県の浜松北基地に「空中機動研究班」が作られます。
同じ1960年の8月、部隊名が「特別飛行研究班」に改称。ブルーインパルスのコールサイン(無線呼出符号)をもつ正式なチームが発足しました。

特別飛行研究班になった時のブルーインパルスは5機だったよ
F-86F時代、最大の出来事は1964年の東京オリンピック開会式でのフライトです。
カラースモークで五輪マークを空に描いたブルーインパルスの名前は全世界に知れ渡りました。
1970年の大阪万博でも展示飛行し、「EXPO’70」の文字を描いています。
2025年の大阪・関西万博でもブルーインパルスが飛行予定です。
▶ブルーインパルスが大阪・関西万博に!飛行時間・飛行ルートについて
1981年、545回の飛行を行ったハチロク・ブルーは多くの人に惜しまれながら引退しました。
T-2ブルーインパルス:1982~1995年

F-86Fブルーインパルスの誕生から20年近くたち、F-86Fが老朽化。
戦闘機パイロットの教育も国産の超音速練習機T-2で行われるようになっていました。
T-2での曲技飛行の研究がなされ、T-2ブルーインパルスが誕生します。

T-2からブルーインパルスは今と同じ6機になるよ
T-2はF-86Fに比べて機体サイズが大きく、エンジン音も大きいため迫力のあるパフォーマンスが可能になりました。
T-2ブルーインパルスの時代の1982年11月、浜松基地航空祭での墜落事故が起きています。

事故は悲しいよね
▶【ブルーインパルスの事故一覧】墜落、パイロットの死亡について
事故後、様々な安全対策がなされて再出発。
三沢基地航空祭ではアメリカの空軍サンダーバーズとも共演しています。
T-4ブルーインパルス:1995年~

1995年より、現在も使われているT-4ブルーインパルスが発足。
1997年には初の海外遠征が行われました。
2004年には航空自衛隊創設50周年を記念した新課目の「サクラ」や「オポジット・トライアングル」などが披露されています。
関連記事:【保存版】ブルーインパルス全ての技一覧 演目の難易度は?

すごい技やかわいい技がいっぱい!
2011年、ブルーインパルスの本拠地である松島基地を東日本大震災の津波が襲います。
ブルーインパルスの正式名称は、宮城県松島基地 第4航空団に所属する「第11飛行隊」

関連記事:【ブルーインパルスはどこにいるの?】基地見学と基地上空訓練について
ブルーインパルスは整備中の1機以外イベントのため芦屋基地にあり、難を逃れられました。
2020年より全世界で流行した新型コロナウイルスにより、航空祭などのイベントは延期やキャンセルが続いた時期もありました。
2020年5月29日医療従事者への敬意と感謝を表すため、ブルーインパルスが都心上空を飛行。
当時の河野太郎防衛大臣がブルーインパルスの費用について言及しています。
関連記事:【ブルーインパルスの費用】1回飛ばすのにいくら?税金から出ているの?
けれども最近では航空祭の開催も通常どおり行われ、ブルーインパルスは人々を魅了し続けています。
ブルーインパルスは戦闘機じゃない?現在と歴代の機体について

この記事ではブルーインパルスの機体について、お伝えしました。
もう一度まとめますと
■ブルーインパルスは戦闘機ではない
■ブルーインパルスの機体は純国産(川崎重工製)のT-4中等練習機を改修したT-4 アクロ使用機(正式名称「戦後研究使用機」)
■ブルーインパルスの機体は現在3世代目
- 初代:F-86ブルーインパルス(1961~1981年)
- 2代目:T-2ブルーインパルス(1982~1995年)
- 3代目:T-4ブルーインパルス(1995年~)

航空祭やイベントでは、ブルーインパルスの機体にも注目です☆
ブルーインパルスに魅了されたら気になるブルーインパルスグッズの記事はこちら
- 『ブルーインパルス パーフェクト・ガイドブック』(イカロス出版、2020年)
- 『ブルーインパルス60年の軌跡』(英和出版、2020年)
- 赤塚聡『ブルーインパルスの科学』
(SBクリエイティブ出版、2014年) - 航空自衛隊公式ホームページ